【第94回】


仕掛人・藤枝梅安ばいあんは小林桂樹で
急に池波正太郎「仕掛人・藤枝梅安」シリーズにハマって、文庫版を読み続けている。池波にはほかに「鬼平犯科帳」、「剣客商売」という強力な人気シリーズがあり、いずれもドラマ化、それが再放送も延々と繰り返され長寿を誇る。池波自身は67歳で死去し長寿とは言えない。没年を確かめて驚いたくらいだ。なにしろ私がいま65歳だから。
私はこれまでそんなに池波の小説、ドラマのファンというわけではなかった。むしろ映画や食、江戸についてのエッセイを好んでいた。それがある時、CSの時代劇専門チャンネルで小林桂樹主演で「梅安」のドラマが放送されたのを見て、すっかり感心してしまった。もとは1982~3年に放送。
「梅安」はその後、渡辺謙、岸谷五朗でドラマ化されている。映画では萬屋錦之介、緒形拳、そして今度は豊川悦司主演で映画化されたようだ(公開は2023年とのこと)。池波作品はどれもそうだが、息が長いコンテンツであることに改めて驚く。豊川悦司版は見ていないが、そのほかは一通り視聴した。結論として、「梅安」が一番似合うのは、やっぱり小林桂樹だなあ。これは「梅安」ファンの知り合いと同じ意見で意気投合した。ちなみに原作に描かれた「梅安」の風貌はこうだ。
「六尺に近い大きな躰の藤枝梅安の、こうした動作は実にゆったりとしたものであって、団栗どんぐりのような小さい両眼は大きく張り出した額の下にくぼんでい、開いているのか閉じているのかさえもよくわからぬ」(「おんなごろし」)
小林桂樹が原作に一番近いことはこれでも分かる。
「え、仕掛人」なら藤田まことじゃないの? と思われる人もあろうが、あの長期シリーズは池波版のアイデアのみ継承されたもので、原作とはかかわりない(はずである)。依頼主から「仕掛け」を頼まれ「世の中に生かしておいては、世のため人のためにならぬ者を殺す」。表の顔は別にあり、裏稼業のことは決して人に知られてはならない。その骨子が、藤田まこと「仕掛人」(「仕置人」など変化)版に受け継がれたのである。
私が池波のシリーズの中で、とくに「梅安」に食いついたのは、小林桂樹の好演もあるし、何よりそのアウトローぶりにあった。「鬼平」は組織の長でたくさんの手下を引き連れている。「剣客」はリタイアした初老の剣客で娘のような年齢の女性とむつまじく暮らす。「梅安」は鍼医者という看板を出す市井の独身者であり、近所の老婆(おせき)が毎日のように身の回りの世話をやく。おもんという料亭の女中を愛人にしているが、料理だって自分で作る。
相棒で親友の彦次郎(ドラマでは田村高廣)は、表の稼業は腕のいい楊枝職人で、たびたび梅安とともに行動し、仕掛けがなくても行き来して酒を酌み交わす仲である。ここへまっすぐな気持ちの若き剣士・小杉十五郎(柴俊夫)が加わり、毎回の主要メンバーとなる。この男たちの互いを思いやる、その思いの深さが殺伐とした殺しのシーンと対照的である。池波作品では、もっとも「ハードボイルド」色の強いシリーズと言われている。


彦次郎の名は担当編集者から
ところで、「仕掛人梅安」シリーズ誕生について面白い話がある。講談社文庫版のシリーズ第1巻『殺しの四人』の解説が、同作が連載された講談社「小説現代」担当編集者の大村彦次郎。お分かりであろう。楊枝職人の「彦次郎」はここからのいただきであった。重要なところなので、なおも大村解説から引き写すと、池波は昭和35年に「錯乱」で直木賞を受賞したが、そのあとパッとしなかった。「オール讀物」で「鬼平犯科帳」がスタートするのが昭和43年。その間、池波の名を世に知らしめる決定的作品はなかった模様だ。
「鬼平」を読んだ大村が、「小説現代」で原稿依頼をして、もらったのが昭和45年の「梅雨の湯豆腐」。主人公はなんと彦次郎。「梅安」の先行作品となる。その前後にも「小説現代」に作品を発表しているが、待望のシリーズが始まるのは昭和47年3月号の「おんなごろし」だった。この作品でシリーズの骨子が示された。たとえば「仕掛」の仕組み。代金とともに殺しを依頼するのが「おこり」。それを「仕掛人」に仲介する元締めを「つる」と呼ぶ。「蔓」は「起り」や事情を明かさず、相手の名を示し前金を仕掛人に手渡す。この「起り」や「蔓」は池波の発明であり造語であった。
「梅安」の「仕掛」料金は、50両から150両ぐらい。ときにやっかいな難物には300両が支払われることもある。「仕掛人」の最高クラスである。これが現代で言えばどれくらいか。江戸期は260数年と長く、同じ1両でも重みが前期と後期では違う。「梅安」が生きた時代は寛政から文化の江戸後期にあたるが、私はいつも落語の「そば16文」を基準に、1両は現代に換算して約10万円と割り切って計算する。となると、「梅安」の報酬はかなりの額だ。「報酬は、金七十両。当時の庶民が七年ほどはのんびり暮せるほどの大金だ」(「殺しの四人」)とあるが、先の換算にすると、江戸後期の庶民は、親子3人の裏長屋生活と仮定して、年に100万円ほどで暮らしていたのか。
「梅安」がいろいろ理屈をつけて、容易に「仕掛」を引き受けないのもよく分かる。1つ済ませば、数年間は働かなくてもよかったのである。
「梅安」が鍼灸所を開く自宅は品川台町、雉子きじ神社の近くとされる。「品川台町」は、「当時このあたりは、南から西へかけていちめんにひろがる田畑と雑木林を見下ろす高台」(「おんなごろし」)にあった。現在、山手線「五反田」駅から北東に延びる桜田通りに「雉子神社」は現存するが、ビルの中に納まった社である。「梅安」の家は「この雉子の宮の鳥居前の小川をへだてた南側にある」(「おんなごろし」)とされる。今や、当時を偲ぶよすがは、ビルに囲まれた「雉子神社」しかない。
ついでに彦次郎の家も紹介しておく。「浅草も外れの塩入土手に沿った木立の中の小さな家」(「梅安晦日蕎麦」)だ。「この家は、近くの総泉寺の畑仕事をしていた百姓が、もとは住んでいたのを、彦次郎が借りうけたものだ」(前同)と、池波作品は時代考証を始め、細部までしっかりイメージが固まっている。この「塩入土手」とはどこだろう。調べると隅田川の東、現在の荒川区南千住8丁目あたりの川のほとりのようだ。同町には「汐入局」という郵便局、汐入小学校に「汐入」の名前が残っている。2人は互いの家をしばしば行き来するが、相当な距離である。いずれ、両所とも訪ねてみたいと思っている。


食べることは生きること
それと、これは他のシリーズにも共通するが、池波作品を読む楽しみは、なかで描かれる「食」のシーンだ。たとえば私が、これは! と思わずラインを引いたのが「梅安晦日蕎麦」のこんな個所。
とっぷりと暮れてから、梅安と彦次郎は、居間の長火鉢へ土鍋をかけ、これに出汁を張った。ざるに、大根を千六本に刻んだのを山盛りにし、別の笊には浅蜊の剝き身が入っている。
鍋の出汁が煮えてくると、梅安は大根の千六本を手づかみで入れ、浅蜊も入れた。刻んだ大根は、すぐさま煮えあがる。それを浅蜊とともに引きあげて小皿へとり、七色蕃椒を振って、二人とも、汁といっしょにふうふう・・・・いいながら口へはこんだ。
「うめえね、梅安さん」
「冬が来ると、こいつ、いいものだよ」
ここに余計な感想をつけくわえて、せっかくのイメージが濁ることを私は恐れる。問答無用の鮮やかな「食」の饗宴である。小林桂樹ドラマ版でも、この「食」のシーンは大切に忠実に再現されている。ドラマでは、酒のやりとりをしつつ、「梅安」が盃や徳利から、鍋に日本酒を仕上げにちょっとたらしこむ。これがまた、じつにうまそうだ。真似したい。
今、どの話に登場したのか不明だが、「蔓」の元締め、音羽の半右衛門が朝、依頼をしに「梅安」の家を訪ねてきたのが朝ごはんの時で、ご相伴にあずかる場面があった。何もないけれど、と炊き立てのご飯に味噌汁(「梅安」は具を入れず、生卵を落としたりする)、漬物だけの簡素なメニューだが、うまいうまいとご飯を4杯もお代わりしたりする。考えてみれば、江戸時代の「食」は一汁一菜が基本で、米で腹を膨らしたのだ。
「ねえ、彦さん。私も、もう長いことはないような気がするよ」といった、ペシミスティックなセリフがよく「梅安」の口から洩れる。彦次郎もそれに同意する。「仕掛」は常に死と背中合わせにあり、「梅安」が傷つくこともあった。それだけに「おもん」の温かい肌に触れ、あるいは彦次郎と鍋を真ん中に酒を酌み交わす時間が「生」の充実となる。
季節のうつろいや、この「食」のシーンに「仕掛人・藤枝梅安」シリーズを読ませる価値を私は強く感じる。講談社文庫版を古本屋で見つけては、最初に一と二。次に三と五を買って、深夜のベッドでちびちび読み継ぐ時間が秋の深まりとともにあった。それは何ともいい時間であった。「食」のシーンで腹が減り、ごそごそ起き出して一人用の鍋で湯豆腐を作る悪癖までできてしまった。私だって「もう長いことはないような気がする」のだから、まあいいか。
なお、佐藤隆介・筒井ガンコ堂編による池波正太郎『梅安料理ごよみ』(講談社文庫)という参考書が出ていて、当方も重宝しております。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。